AIで書いた記事が伝わるようになっても、もう一つ足りない|設計書を運用してわかったこと

こんにちは、のた(@Nor21011)です。

以前、AIに書かせた記事が「上手いのに伝わらない」問題について書きました。原因はAIの文章力ではなく、見出しごとの答えを自分で決めていなかったこと。その対策として、書く前に見出しごとの主張を1枚に書き出す「設計書」を導入した、という話です。あの記事の最後で、私はこう約束しました。効果はまだ分からない、これからの数記事で答え合わせをする、と。

今日はその答え合わせです。先に結論を言うと、設計書は効きました。ただ、何本か書くうちに、もう一つ足りないものが見えてきました。1記事の中では効く設計書が、記事をまたいだところでは届かない。そういう場所があると気づきました。

目次

設計書は効いた。記事単独の「で、何が言いたいの?」は消えた

設計書を使って、これまで何本か記事を書いてきました。まず、良かったところから書きます。

一番変わったのは、記事1本ごとの読みやすさです。以前書いた「著者である自分ですら、何を言いたいのか分からない」という状態が、なくなりました。見出しごとの答えを先に決めてから書かせるので、本文がその答えから逃げなくなる。読み返して「で、何が言いたいの?」となることも、だいぶ減りました。公開前の最後の手直しも、以前より明らかに軽くなっています。

正直に補足すると、フィードバック役のカスタムGPTに出して、指摘されて、直して、また出す、という往復の回数自体は、あまり変わっていません。一発で通るようになったわけではない。それでも、直す中身が「記事として成立するか」という骨格の話ではなく、細部の調整に変わりました。以前は見出しごと作り直すこともあったのが、いまは語尾やつなぎの調整で収まるようになりました。土台が崩れなくなった、という手応えです。

ここまでが、設計書の答え合わせです。効果はありました。ただ、話はここで終わりませんでした。

それでも残ったのは、特定の言い回し。メモリに入れても戻ってきた

土台は崩れなくなった。それでも私は、毎回どこかを自分で書き直していました。ただ、その書き直しは、以前のような「構成の作り直し」ではありません。もっと細かくて、しつこいものでした。

たとえば、特定の言い回しです。私には気になるAIの癖がいくつかあって、それは前に「AIっぽい文章を自分の言葉に直す」という記事にも書きました。唐突に始まって読みにくい一文とか、少し馴れ馴れしい語尾とか。困るのは、その癖を一度直しても、次の新しい記事でまた戻ってくることです。

しかも私は、これをメモリ機能に覚えさせてもいました。「こういう言い回しは避けて」と伝えて、記憶させておく。それでも、次の記事ではまた同じ癖が顔を出す。何度指摘しても、何度メモリに入れても、直り切らない。「またこれか」と思いながら、私は毎回それを手で直していました。

ここで気づいたことがあります。この書き直しは、1つの記事の中だけを見ていても解決しない。設計書は1記事ぶんの設計図なので、そもそもこの問題の担当ではなかった、ということです。

言い回しだけじゃない。考え方まで毎回ゼロからだった

言い回しを毎回直すだけなら、まだ小さな手間です。もっと困ったのは、文章の土台にある考え方まで、毎回説明し直さないといけなかったことでした。

私のブログには、これまでの記事で少しずつ固めてきた考え方があります。読者をむやみに「初心者」と決めつけない、とか。AIは丸投げする相手ではなく一緒に書く相棒だ、とか。こういう自分の軸は、別の記事で言葉にしてきたものです。ところが新しい記事を書き始めると、AIはそれを覚えていません。毎回、一から説明し直すことになる。1本の記事を仕上げるのに思っていたより時間がかかっていたのは、これが理由でした。

メモリ機能に期待した時期もありました。でも、少なくとも私が使ってきた範囲では、メモリに残るのは要点が中心でした。細かいニュアンスや「なぜそう決めたのか」という経緯までは、次の記事にうまく持ち越せませんでした。壁打ちの途中で「そのルール、前に決めましたよね」と言いたくなる場面が、何度もありました。

言い回しの癖と、この毎回ゼロスタート。別々の不満に見えて、正体は1つでした。AIが記事をまたいで、私のことを覚えていない。設計書が1記事の中を整える道具だとしたら、足りていなかったのは、記事と記事をまたいで積み上がっていく仕組みでした。

まとめ:これは徒労じゃなく、まだやれるという伸び代だった

ここまで読むと、設計書に失望した話に聞こえるかもしれません。でも、私の気持ちはむしろ逆でした。

設計書のおかげで、記事1本の質は明らかに上がりました。その土台ができたからこそ、次に手をつける場所がはっきり見えた。言い回しも、考え方も、要は「のたらしさ」を記事をまたいで保ち続けられれば、AIはもっと私の分身に近づきます。そう思ったら、これは消耗ではなくて、まだやれるという伸び代でした。

理想を言えば、私の考えや文体を引き継いで、私の判断を土台に下書きを作ってくれるAIがいい。自分の代わりというより、自分の考えを取り出しやすくしてくれる、第二の脳に近い存在です。そこまでは難しいとしても、近づく方法はあるはずです。少なくとも、その伸び代がどこにあるかは分かりました。設計書の中でも、メモリ機能の中でもない。記事をまたいで、自分の判断や言葉を溜めていける、別の場所が必要でした。

その場所として、私はいまObsidianというツールを使い始めています。そこで具体的に何をしているのかは、長くなるので次の記事に書きます。

設計書は、記事1本を整える道具として本当に効きました。でも、ブログ全体を通した「自分らしさ」を保つには、それだけでは足りない。AIで記事を書いていて、上手いのにどこか自分の色が薄い、と感じている人がいたら、たぶん次の課題は同じ場所にあります。私はいま、自分の考えを溜めて、AIが引き出せる仕組みを作り始めています。その伸び代のほうへ、一歩踏み出したところです。

設計書を運用してわかったこと
設計書は効いた。
でも、記事をまたぐと、つながりが途切れる
1
設計書は効いた:記事単独の「で、何が言いたいの?」は消えた
著者すら分からない構成の崩壊がなくなり、最後の手直しも軽くなった
2
残った課題①:直した言い回しの癖が、メモリに入れても次の記事で戻る
何度指摘しても直り切らない
3
残った課題②:考え方が毎記事ゼロスタートで、持ち越せない
細かいニュアンスや、判断に至った経緯までは持ち越せなかった
4
正体:どちらも「記憶の持続」。設計書は1記事の道具で、記事をまたげない
足りないのは、記事と記事をまたいで積み上がる仕組み
これは徒労じゃなく、まだやれるという伸び代。
設計書の外に、「自分らしさ」を育てる別の場所が必要だと思いました。
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この記事を書いた人

AIをガチで使い倒しているウルフ系ブロガー、のたです。
毎日Claude・ChatGPT・Geminiを使いながら、「AIで何ができるか」を実験中。
このブログでは、実際に使って感じたことをそのまま書いています。

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